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      2018/10/31

いだてん松尾スズキが演じる橘家圓喬(たちばなやえんきょう)は実在する?








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2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」に伝説の落語家、橘家圓喬(たちばなや えんきょう)が登場します。

ビートたけしさん演じる落語の神様の古今亭志ん生との関係や、モデルとなった人物について調べてみたのでご紹介いたします。

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「いだてん」松尾スズキ演じる役どころは?

伝説の落語家、橘家圓喬(たちばなやえんきょう)

明治のころ、東京で絶大な人気を誇った落語の名人。
どん底にあえぐ孝蔵(のちの古今亭志ん生)の才能をただひとり見抜き、最初の師匠となる。

ふだんは物腰柔らかいが、芸のこととなると一転、妥協を許さず、先輩であろうと平気で毒舌を吐く。

実在モデルはいるの!?

大河ドラマ「いだてん」の中で、孝蔵(森山未來)は10歳で酒とばくちを覚えます。

そして稼いだ金は「飲む、打つ、買う」の三道楽にすべて使い果たし、どん底にあえぐなか、落語家を目指していきます。

 

この孝蔵は実在する人物で、美濃部孝蔵と言い、1910年(明治43年)2代目三遊亭小圓朝に入門して、三遊亭朝太の名でプロの落語家になっています。

 

ドラマでは、孝蔵の最初師匠は橘家圓喬となっていますが、実際は2代目、三遊亭小圓朝に入門しています。

そしてプロとなってはじめて名乗った芸名が三遊亭朝太。

実はこの三遊亭朝太をはじめて名乗ったのが、橘家圓喬です。

 

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橘家圓喬のプロフィール

本名、柴田清五郎。

1865年(慶応元年)11月9日、東京に生まれます。

父は政府の御家人。
近所に義理の姉婿であった4代目、橘家圓太郎が住んでおり、叔父が三遊亭圓朝の贔屓客だったため、幼いころから寄席の楽屋に出入りしていました。

 

1872年、7歳で三遊亭圓朝に入門し、三遊亭朝太を名乗ります

1878年、2代目三遊亭圓好に改名。
1882年、東京を離れ、焼き物師を志すも、立花家橘之助の一座に同行し修行。
1885年、兵役検査のため東京に戻り、4代目、三遊亭?圓喬となり

1887年、4代目、橘家圓喬襲名
1903年、第一治落語研究会の発足に参加。
1912年11月16日、新宿末廣亭で最後の高座。
1912年11月22日、死去。46歳の若さであった。

 

日本橋住吉町の玄冶店に住んでいたので「住吉町の師匠」や「住吉町さん」や「玄冶店の師匠」などで呼ばれていました。
圓朝門下の逸材で、師の名跡をぐ話もあったが、頑固な性格が災いしてなくなった

 

気に入らない者には、わざとその前の高座に上がって噺をみっちりやって次に出た者を困らせたり、それを楽屋で聞いて冷笑していたり、また4代目、橘家圓蔵が高座に上がっている時、楽屋で「何でげす。品川のはア。ありゃ噺(はなし)じゃありやせんな。おしゃべりでげす。」と、悪口を言ったりしていたため、仲間うちからわれていました。

 

一方で、芸に対しては真剣

前座や若手相手に熱心に噺の指導をしていると、自分の出番を忘れることも。
また、5代目三遊亭圓生が前座のころ、圓喬に噺の間違いを指摘したら、いきなり正座して「ありがとうございました。」と一礼したエピソードが残っています。

 

初代、三遊亭右女助(後の4代目古今亭今輔)が大阪からきたばかりで、馴染めず困っていたときは、圓喬が右女助の高座の前で引っ込む際に「さて次に上がりまする右女助は大阪から来たばかりなので、よろしくおひきたてのほどをお願い申し上げます。」と、口上を毎晩言って助けるなど、人情味の厚い一面もあったそうです。

 

松尾スズキさん演じる橘家圓喬は、森山未來さん、ビートたけしさん演じる美濃部孝蔵と古今亭志ん生の師。伝説の落語家と言われた実在する人物でした。

 

大河ドラマ「いだてん」、実在モデルを脚本家の宮藤官九郎さんがどう描くのか?も見どころです。

見逃せなません!!

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