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      2018/10/31

いだてんのモデルは誰?主演の中村勘九郎と阿部サダヲの実在人物について!








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2019年のNHK大河ドラマは「いだてん」です。

脚本は「あまちゃん」や「木更津キャッツアイ」など多くの大ヒット作品を手掛けている宮藤官九郎さんです。

2020年東京オリンピックを前に、1964年に日本で初めて行われた東京五輪がどのように開催されたのか?

実話をもとに描かれ、主演は中村勘九郎さんと阿部サダヲさん2人が務めます。

実在モデルは誰なのか?ここでは詳しくご紹介いたします。

「いだてん」の主役モデルは誰?

主役は2人!中村勘九郎さんと阿部サダヲさんが努めます。この2人の実在モデルは一体誰なのでしょうか?
まずはドラマ内での役柄をご紹介いたします。

金栗四三(かなくり・しそう)
役 中村勘九郎

熊本の山奥で育った超自然児「韋駄天(いだてん)」。
オリンピックという言葉も知らずにマラソンの予選会で世界記録を樹立

「ストックホルム大会」に参加するも、日射病で失神・・国辱を味わう。
だが、翌日には発奮し走り出す。

 

4年後の再起を誓い練習に励むが、第1次大戦で「ベルリン大会」が中止に。

夢を後進に託すべく学校の先生になり、箱根駅伝を創り多くの弟子を育てます。また、いち早く女性の可能性に注目し女子教育にも情熱を注いだ。

 

だが、迎えた「東京オリンピック」が第2次大戦でとなり、戦争で弟子の命まで失われてしまいます・・・
度重なる悲運にもめげず、寡黙に笑顔で生涯を走り続けた、太陽のような男。

田畑政治(たばた・まさじ)
役 
阿部サダヲ

水泳のために生まれた男!といっても本人は病弱で泳がない。

地元の浜名湾でコーチとして日本水泳の礎を築き、政治記者をしながら、「ロス・ベルリンの両大会」に参加。

 

日の丸に涙する日系人の観客を見て、平和の祭典としてのオリンピックに魅了され、「東京オリンピック」の実現に執念を燃やすも戦争によりに・・だが、情熱は失わない。

敗戦の食糧難の中、マッカーサーに直談判、いち早くスポーツ界の国際復帰に成功し、復興を願う人々の支えとなった。

目的に向かい猪のように突進する熱情家で、ついには1964年の「東京オリンピック」を実現する

金栗四三(かなくり・しそう)とは

中村勘九郎さんが演じる金栗四三(かなくり しそう)は1891年(明治24年)8月20日、熊本県玉名郡春富村(和水町)に生まれます。

幼い頃より勤勉で吉地尋常小学校を卒業すると、12㎞離れた玉名北高等小学校に進学。

毎日片道12㎞を走って通学。玉名中学校(玉名高校)にも進学した。

玉名高校には宿舎に入ったが、週末は20㎞離れた実家に走って帰る生活をしていたため、長距離を走る基礎は身に着けていた。

 

この時代には「走る=スポーツ」ではなかったため、学生時代は勉強に励み、学費免除の特待生に選ばれるほどの成績でした。

海軍を志し、海軍兵学校を受験するが結膜炎が治らず、身体測定で不合格。

実家からは、進学には学費がかからない学校という条件などがあり、東京高等師範学校(筑波大学)を受験し進学した。

進学した大学の校長が、柔道の創業者嘉納治五郎で、スポーツ全般を教育に取り入れ、東洋で初の国際オリンピック委員会の委員に選ばれており、嘉納治五郎との出会いでマラソンの道が拓かれます

 

1912年、ストックホルム五輪の代表選考会に出場。当時のマラソン世界記録を樹立

短距離専門の三島弥彦と一緒にストックホルム五輪の日本代表選手に選出され、金栗四三は五輪の第一号

 

マラソンの世界記録保持者として出場したストックホルム五輪でしたが、現地の暑さに苦しみ、競技途中で日射病にかかり意識を失い、結果は途中棄権でした。

競技途中に倒れ亡くなった選手もいたそうですが、金栗四三は翌日には元気に走る事ができたそうです。

 

「五輪で味わった悔しさは五輪でしか晴らせない!」と思い、4年後のベルリン五輪出場を目指します。

しかし時代は第一次世界大戦・・ベルリン五輪の開催中止で出場することはできませんでした。

後に開催されたアントワープ五輪(1920年)とパリ五輪(1924年)に、日本代表選手として出場。

パリ五輪では途中棄権になりましたが、アントワープ五輪では16位という結果を残しています。

 

1917年、駅伝の元祖である東海道駅伝徒歩競走の関東チームで最終走者を務め、「世界で通用する長距離走者を育成しなければ・・」と考え、箱根駅伝を考案し実現させます。

現在の箱根駅伝のMVP「金栗四三杯」、この賞は金栗四三の功績を称えたものです。

田畑政治(たばた・まさじ)とは

阿部サダヲさん演じる田畑政治(たばた まさじ)は、1898年(明治31年)12月1日、静岡県浜松市中区成子町の造り酒屋「八百庄商店」に生まれます。

父親は高額納税者でとても裕福の家でした。

しかし父も祖父も結核で死去。体が丈夫じゃなかったため、30歳まにでにはぬだろうと言われて育ちます。

そのためか、母が健康のためにと長期休暇に入ると別荘で過ごし、別荘近くの浜名湾で泳いでいたそうです。

 

浜名湾は水泳が盛んな地域で、地元中学生の卒業生たちが「遠州学友会水泳部」を創立させると、田畑政治は入部し頭角を現します。

エースとして活躍するも、慢性盲腸炎と大腸カタルを併発。医者から「泳いだらぬ」と言われ、水泳を断念

 

水泳を断念するが、後輩の指導に力を入れ、旧制浜松中学校を大会優勝に導きます。

そして次は日本一を目指すべく「浜名湾遊泳協会」を設立しました。

 

東京帝国大学(現、東京大学)に入学しても、休みのたびに浜名湾に戻っては後輩指導、水泳普及に尽力し、大学を卒業してから朝日新聞へと進み、政治経済部長や常務を歴任。政治担当の新聞記者として活躍しました。

 

政治記者をしながら競泳のコーチを務め、1932年のロサンゼルス五輪などで競泳日本代表監督を歴任

1952年のヘルシンキ五輪、1956年のメルボルン五輪では日本選手団団長も任されました。

 

1939年に日本水泳連盟の理事長に就任。

1948年には日本水泳連盟会長に就任し、東京オリンピック開催を大きな目標として掲げます。

 

第二次世界大戦からの復興を目指す東京で、五輪を行うべく招致活動に先頭を切って精力的に活動し、1964年東京で夏季五輪開催を実現させます。

 

東京五輪によって設立された大会組織委員会の事務総長に起用され、女子バレーボールを正式種目に追加させる事にも成功しました。

1973年~1977年、JOC(日本オリンピック委員会)の会長を務めてもいます。

 

オリンピックに初参加した男、金栗四三(かなくり・しそう)を中村勘九郎さんが

オリンピックを呼んだ男、田畑政治(たばた・まさじ)阿部サダヲさんが

この2人の俳優がリレー式で大河の主演を演じます。

実在した偉大な人物の物語・・

2020年の東京オリンピック開催前に放送される「いだてん」大注目!

ドラマ見逃せません!!

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