いだてんアニー大森安仁子の実在モデルは?19歳差の国際大恋愛って本当?
2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」にシャーロット・ケイト・フォックスさんが出演されます。
役どころはオリンピックの日本選手団監督、大森兵蔵(竹野内豊)の妻、大森安仁子。
日本人初のオリンピック監督となった夫を支える、アメリカ人の令嬢の妻は一体どんな人だったのでしょうか?
国際結婚、それも19歳の年上だったという実在人物についてご紹介したいと思います。
「いだてん」シャーロット・ケイト・フォックスの役どころ
シャーロット、かわいい!よく似合ってる。 #いだてん pic.twitter.com/wfQP5MnZzz
— naca (@0maylily0) 2018年7月20日
大森安仁子(おおもりあにこ)は、アメリカ人令嬢で画家。
本名、アニー・バロウズ・シェプリー。
ハウスキーパーだった大森兵蔵(役、竹野内豊)と大恋愛の末、国際結婚。
夫、兵蔵がオリンピック日本選手団監督に就任したことから、ストックホルムに同行し、金栗四三(役、中村勘九郎)と三島弥彦(役、生田斗真)に、英語やテーブルマナーなどを指導します。
強気な発言が誤解され、騒動のもとにも。
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大森安仁子の実在モデルは?
#いだてん 今度のシャーロットの旦那さん役は #竹野内豊 さん。カッコいい。お似合い。シャーロット紫のドレスがよく似合うね。楽しみ。 pic.twitter.com/E6LWWDPuYN
— サツキ (@gigiwingkei) 2018年7月20日
大森安仁子の本名は、アニー・バロウズ・シェプリー。
安政3年(1857)、アメリカのミネソタ州セントグランドで生まれた実在する人物です。
シェプリー家はイギリスのヨークシャーからアメリカに渡った開拓民で、ニューイングランドの名門で、「サー」という称号を与えられいたほどの家柄でした。
アニーは子供のころから画家になる夢があり、絵を勉強するためアメリカ東部へ行きたいと思っていたが、17歳の時に父が殺害されていまい、夢を断念しています。
しかし従兄弟の援助を得て、ボストン美術学校へ入学。絵の才能を開花させます。
ニューヨークで絵の教師となり、自分のアトリエを持ち、絵を学ぶためパリにも渡りました。
19歳の歳の差、国際大恋愛
親、兄弟を亡くすも、アメリカのコネチカット州ウッドストックに家を購入し画家を続け、49歳で絵に専念。
絵に専念するため料理人を雇うことにし、国際YMCAトレーニングスクールにアルバイトを依頼します。
※YMCA…キリスト教信仰に基づく青年の社会教育・社会奉仕運動を行う組織
依頼した時期が夏休みだったので、アルバイト応募してきたのは日本人、大森兵蔵だけでした。
料理人アルバイトで雇ったはずの大森でしたが、アニーが満足する料理つくれません。
大森自身も苦に感じ、2日目にしてアルバイトを辞めると申し出ました。
しかし大森のやせ型で髭という姿がどことなく、イエスキリストに感じ、料理以外の仕事をしてほしいと、使用人として雇うことにしました。
大森は武家生まれ。教養を持ち合わせていることもあって、話や趣味がアニーと合い、アニーは次第に大森に惹かれはじめます。
また大森には日本人の体格向上のため、日本で体育を広めたいとの夢やセツルメント事業の夢があり、アニーはそれを応援したい気持ちが高まりました。
しかしアニーは自分が大森よりも19歳も年上であることを気にして、苦しみます。
※セツルメント…日本では隣保管と言われる場所のことを指す場合もあるが、基本的に、持つ者と、持たない者がともに相集って一定の地域、場所で共同して支えあう精神に基づくボランタリズム運動の意味あいが強い。社会福祉の発達に大きな影響を及ぼした。
アニーは大森に惹かれながらも、ピューリタンとして厳格に対応。
使用人の大森とは一緒に食事をすることはなく、雇用主と使用人という関係を崩しませんでした。
※ピューリタン…清教徒。比喩的に、自己に対して厳格・潔癖な人。
大森は夏休みの終わり、アルバイトも終えるころ、庭のベンチのペンキ塗りをしていると、ツタウルシで体中がかぶれ、腫れ上がってしまいました。
その手当、看病をアニーがしたことがきっかけで、なんと2人は交際に発展。結婚を誓いました。
夏休みが終わり大森が国際YMCAトレーニングスクールに戻ってからは文通をはじめ、明治40年(1907)10月1日、アメリカで結婚式を挙げました。
この時アニー50歳、大森31歳、19歳の歳の差。2人とも初婚でした。
アニーはニューイングランドの名門の家柄。
日本人との結婚に驚きながらも祝福され、地元新聞が取り上げるほどの騒動になりました。
一方、大森は岡山の武士の家柄。
アメリカ人との結婚に反対されましたが、理解が得られ、アニーと岡山の実家を訪れると親族に受け入れられました、そしてアニーは明治44年(1911)、日本に帰化しました。
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命がけのオリンピック
夫となった大森兵蔵は、日本初参加となるストックホルムオリンピックの選手団監督に就任しました。
しかし日本に帰国してから大森は肺結核を患っており、体調が思わしくない中の就任でした。
アニーはオリンピック選手として参加する、金栗四三に英会話、テーブルマナーを教えるなど、オリンピック出場に向けて尽力します。
そして明治45年(1912)5月、ストックホルムオリンピックの参加に同行しました。
夫、大森はストックホルムへの長旅の間に結核がぶり返し吐血するほど体調を悪化させており、アニーは現地でも看病をしていました。
金栗四三の初めてのオリンピック出場は、日射病で倒れてしまうという結果。
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オリンピック選手団が日本に帰国する中、大森は帰国することが不可能なほど容態が悪化。医者からも旅行を禁止され入院を勧められました。
入院する病院をアニーは探しますが、夫が日本に帰りたいと懇願したため、アメリカのボストンからサンフランシスコを経由して船で日本に帰ることにしました。
しかし見る見るうちに容態はさらに悪化。
とても船旅で日本に帰ることは困難と判断したアニーは、サンフランシスコ近くのサバディアナの病院に夫を入院させるも、大正2年(1913)1月15日に死去。大森兵蔵は38歳の人生を遂げました。
夫の死後
夫を亡くしたアニーは、故郷のニューイングランドに帰る選択肢もありましたが、愛する夫の遺志を継いで、文部省から依頼されていた体育施設の視察を行い、報告書を完成させ、日本に帰国しました。
大正2年(1913)春に帰国したアニーは、夫の遺志にあった児童福祉施設「有隣園」に尽力。
児童問題、児童福祉施設の必要性を説く講演活動を行い、児童福祉事業からセツルメント事業へと発展させ、社会に貢献していく人生を貫きました。
昭和15年、社会事業大会でアニーこと、大森安仁子は表彰されます。
当時の反米感情を考えると異例なことであり、世の中への貢献と評価がどれだけ高かったたが分かるでしょう。
アニーは、夫の死後、黒い服(喪服)しか着ることをせず、夫の命日には人には会わず、部屋に閉じこもり夫を偲ぶ、愛の形を貫いていたそうです。
そんなアニーは、昭和16年(1941)8月3日、85歳の人生を遂げました。
さいごに
アニー、大森安仁子という人物は実在した人で、明治時代に国際結婚。
それも女性が19歳も年上で、夫の死後も日本の社会事業に貢献した逸材な人物でした。
大河ドラマ「いだてん」は明治から昭和にかけた物語。
脚本、宮藤官九郎さんがどのように演出されるのか?楽しみでなりません。
ドラマ見逃せません!!
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