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いだてん永井道明(杉本哲太)の実在モデルは天皇や総理大臣と関係ある?








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2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」に杉本哲太さんが出演されます。

役どころは主演、金栗四三(中村勘九郎)の舎監を務め、日本に体操を持ち込んだとされる永井道明

スウェーデンから日本に体操を持ち込んだ人物は一体どんな人だったのでしょうか?

大正天皇総理大臣とも関係があったとされる実在人物についてご紹介したいと思います。

「いだてん」杉本哲太の役どころ


金栗四三(中村勘九郎)が通う東京高等師範学の教授、永井道明(ながいどうめい)は、ヨーロッパから日本に体操を持ち込んだ日本スポーツ界のパイオニアの一人。

 

東京高等師範学校では金栗たちの寄宿舎の舎監も務めています。

自らが普及させた体操器具、肋木(ろくぼく)代名詞。

厳しくも愛を持って接する熱血漢だが、頑固で融通の利かない一面も。

永井道明の実在モデルは?

杉本哲太さん演じる永井道明は、実在する同姓同名の人物です。

 

明治元年(1869)12月18日、茨城県水戸市蔵前で、水戸藩士・永井衡敏の二男として誕生しました。

永井家は平安時代の儒学者、大江匡房の末裔。

祖父の永井政介は水戸藩の藩校「弘道館」の師範で、親族には水戸学者の藤田東湖や藤田幽谷がいる、とても由緒ある家系でした。

しかし永井家の身分は小役人。兄弟が10人もいたので生活は苦しかったそうです。

 

二男の道明は、幼いころから体が弱かったものの無事に小学校を卒業して、明治15年水戸中学校へ進学すると、星野久成という人物から普通体操を学ぶと興味を持ち、稽古に励みました。

道明は東京への進学を希望しましたが、生活が苦しかった永井家は長男しか東京に行かせることができませんでした。

そこで道明は奨学金を申請。しかし家が小役人だったため認められず東京を断念。茨城師範学校へと進みました。

 

このころ、文部大臣の森有礼(もり・ありのり)が学校体育に兵式体操を導入。

永井道明は茨城師範学校で兵式体操を知っていたく感銘を受け、運動会などでは兵式体操の指揮を任せられるまでに訓練していました。

 

東京に進学する夢を断念した道明を、姉の夫・吉成愼之允が同情し支援してくれました。

そのため道明は明治23年に茨城師範学校を卒業すると、東京高等師範学校(現、筑波大学)の博物館科に進学できました。

 

博物館科は選んだわけではありません。

東京高等師範学校への入学採用は毎年1科のみ。

道明が入学する年の応募が博物館科だけだったという理由でした。

 

 

東京高等師範学校進学すると「日本の体操教師」と言われた坪井玄道から普通体育を指導を受けました。

東京高等師範学校を卒業すると、東京高等師範学校附属中学校の助教諭に。

なんとこの助教諭時代の教え子には、後に総理大臣となった鳩山一郎がいました。

 

 

明治29年、奈良県立畝傍中学校教諭となると中学創立に尽力。

明治31年、同校長になると体操指導に力を入れ「体操校長」と呼ばれました。

明治35年、兵庫県立姫路中学校長に就任。姫路中学校の復興にあたります。

 

 

道明の性格は頑固でした。

自分の教育方針を貫き、体育に力を入れていましたが、まだこの時代です。

保護者には受け入れられず反感を買っていたようです。

 

 

明治38年、文部省から海外体育事情調査として、ボストン、ストックホルムに派遣。スウェーデン体操に触れます。

 

明治42年、帰国すると、東京高等師範学校、東京女子高等師範学校の各教授に就任

日本最初の「学校体操教授要目」を作成。

 

大正2年、完成させ公布。

大正11年、東京高等師範学校を辞任。

大正13年、東京女子高等師範学校を辞任。私立本郷中学の初代教頭に就任

 

昭和15年、体育功労者として表彰

昭和25年12月13日、日本学校体操の父と呼ばれた永井道明は、享年83歳でした

天皇との関係

日本がオリンピックに初参加するために、文部省や日本体育会にオリンピック委員会の設立を要請しましたが、またこの時代はスポーツは遊びと認識され、協力が得られませんでした。

 

そこでスポーツに理解がある東京帝国大学や東京高等師範学校、早稲田大学、慶応義塾大学、明治大学などに協力を要請し「大日本体育協会」を設立がされたのですが、この設立に永井道明も携わっていました。

 

永井道明はこのとき「家庭体操」というものも考案し、海軍などでも指導をしていました。

 

家庭体操の評判がとても良く、それがなんと大正天皇の耳に入り、御所から呼び出されたそうです。

 

そして大正天皇の御前で家庭体操を披露し、恐れ多くも大正天皇に指導まで行っています。

総理大臣との関係

少し前でも触れましたが、永井道明が東京高等師範学校附属中学で助教諭となったころ、その教え子の中に、後の総理大臣となる鳩山一郎がいました。

鳩山一郎は鳩山由紀夫の祖父にあたります。

 

永井道明は日本体育学校のと呼ばれる功績者となり、晩年には全国の体育関係者たちが永井体育館なるものを建設し、寄贈されるほどで、国からも表彰される人物でした。

 

昭和7年、教え子の鳩山一郎(当時、文部大臣)から表彰

昭和15年、厚生大臣、金光庸夫から表彰

昭和25年12月13日、永井道明は83歳で死去。

 

鳩山一郎が内閣総理大臣になったのは昭和29年12月。

よって教え子の総理大臣の姿は見ることはできませんでしたが、中学時代に教諭として関り、教え子から表彰を受けたという人生は教師冥利に尽きたことでしょう。

金栗四三との関係

東京高等師範学校の学生だった金栗四三は日本初のオリンピック、マラソン選手として日本代表に選ばれたころ、永井道明は東京高等師範学校の舎監を務めていました。

具体的なエピソードは残っていませんが、寮生活をおくる金栗四三の面倒を見ていたことは間違いありません。

 

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スウェーデン体操

永井道明は、海外視察、ストックホルムに行ったときにスウェーデン体操と出会います。

スウェーデン体操は、医療体操、教育体操、兵式体操、優美体操4分類された体操です。

兵式体操は規律性の高さから各国で採用されました。

 

大正2年、永井道明はスウェーデン体操を広め、「学校体操教授要目」が公布されると、終戦まで学校体育の基本形式となります。

 

よく体育館でみかけるはしごは肋木(ろくぼく)」と呼ばれ、スウェーデン体操の代表的な補助器具です。

高さは2m50から2m80、1欄の幅が80cmから100cmが一般的。

1欄だけのものから壁一面に設置されているものまで、運動施設によって幅を自由に決めることができます。

 

現在では昇り降り、横への動きなど遊戯器具として使われるのが一般的。

指導者が減っているため、体操器具として使用しているのは器械体操の選手などの中級者に多いそうです。

さいごに

大河ドラマ「いだてん」の永井道明は実在した人物で、日本体育学校の父と呼ばれていました。

苦学であっても日本トップだった東京高等師範学校に進学し、体操普及のため海外視察をするなど尽力され、大正天皇や国からも認められた逸材でいらっしゃいました。

ドラマでは、体操を日本に持ち込んだ男として頑固な性格。金栗四三の舎監という紹介をされています。

実在モデルをどのように脚本、宮藤官九郎さんが演出されのでしょうか??

ドラマ見逃せません!!

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