いだてん野口源三郎(永山絢斗)の実在モデルは誰?本名や腹が空く癖とは?
2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」に永山絢斗さんが出演されます。
役どころは主演、金栗四三(中村勘九郎)の東京高等師範学校の後輩、野口源三郎。
日本人初のオリンピック選手となった金栗先輩と一緒にマラソンに取り組んだ実在した人物は、一体どんな人だったのでしょうか?
変な癖でマラソンは断念したという話や、後にオリンピック選手となりスポーツ体育を普及させた人物の人生、ご紹介したいと思います。
「いだてん」永山絢斗の役どころ
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— な あ ぽ ん (@__mr87) 2018年11月4日
東京高等師範学校の学生、野口源三郎(のぐちげんざぶろう)は、日本初のオリンピックのマラソン競技予選に、学校の先輩、金栗四三(中村勘九郎)とともに参加。
ストックホルムオリンピックには出場できなかったが、後のアントワープオリンピックには主将として出場。
現役を引退した後には、大日本体育協会の理事となり、スポーツが日本全国へと広がる立役者となります。
野口源三郎の実在モデルは?
#いだてん勘九郎
取材会には、生田のほか、中村勘九郎、永山絢斗、満島真之介、近藤公園 // 杉本哲太、竹野内豊、役所広司、制作統括の訓覇圭氏が出席
《2018年7月20日(金)14:22配信,マイナビニュース》生田斗真、19年大河『いだてん』で充実の日々「毎日の撮影がワクワク」 https://t.co/6w6If4EPvG pic.twitter.com/G6cC2io9ZD— 中村屋兄弟(非公式) (@Nakamuraya_97b) 2018年7月20日
永山絢斗さん演じる野口源三郎(のぐちげんざぶろう)は実在した、同姓同名の人物です。
明治21年(1888)8月24日、埼玉県榛沢郡(はんざわぐん)横瀬村(現、深谷市横瀬)で、丸橋栄三郎の長男として誕生しました。
生まれて間もなく母が死去。そのため埼玉県榛沢郡岡部村の母方の親戚、野口家に養子に出され、野口八重郎の三男として育ちます。
野口家は中流の農家でした。
このことから野口源三郎の本来の本名は「丸橋源三郎」だということが分かります。
しかし当時の戸籍制度はまだしっかりしたものではありません。
国の戸籍制度が本格化したのが明治5年。それから明治19年、明治31年、大正4年に細かい戸籍の様式の変更があっています。
母が出産後まもなく亡くなっていることから、丸橋家の長男として戸籍登録せずまま養子に出されたと思われます。
金栗四三との出会い
野口源三郎は埼玉師範学校(現、埼玉大学)を卒業。
小学校の教師として働いていたが、剣道四段、テニスが上手でスポーツに長けていました。
そのため校長の勧めもあり、学問の最高学府であった東京師範学校(筑波大学)に進学しました。
東京師範学校の校長、嘉納治五郎(役、役所広司)は、マラソンや水泳を教育に取り入れており、高等師範学校で年2回開催されていたマラソン大会で、1年先輩の金栗四三(役、中村勘九郎)と出会います。
しかしマラソン大会のレース途中で、野口源三郎は空腹に耐えきれず、レースを投げ出して水を飲みに行ってしまったそうです。
野口源三郎は大の甘いもの好き。
マラソンを走っていると途中でお腹が空き、それをどうしても我慢できなくて、レース途中で抜け出し、飲み食いに走ってしまうという癖に悩まされていたそうです。
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オリンピックに向けて
明治45年(1912)、日本はストックホルムオリンピックに初めて参加することに。
東京師範学校からは野口源三郎、金栗四三、橋本三郎の3人がマラソンの予選に出場しました。
この大事な予選でも、野口源三郎の癖が出てしまいます。
予選レース途中にお腹が空いてなんと駄菓子屋へ。パンを盗み食いしようとして怒られ、マラソンは完走するも4位に終わります。
また盗み食いの失態を親戚に見られてしまい、マラソン禁止になってしまったそうです。
ストックホルムオリンピックに出場できなかった野口源三郎は、金栗四三から刺激も受け、次のベルリンオリンピックに向けて本格的にマラソンに励みます。
しかし第一次世界大戦により、オリンピック中止を余儀なくされます。
大正4年、野口源三郎は東京師範学校を卒業すると、長野県の松本中学校の教師に。
松本中学では体育の指導方針作成にあたる一方、陸上部を発足。
陸上競技指導を行いながら、自分も十種競技を開始します。
なぜ十種競技なのか?
それは協議中にお腹が減るという癖に悩まずにすむからと言われています。
元々スポーツ万能だった野口源三郎は、高身長ということもあって、棒高跳びで3メートルの日本記録を樹立しました。
大正7年、嘉納治五郎に声をかけられ東京高等師範学校の嘱託として働きながら、陸上を続けます。
大正9年、アントワープオリンピックでは十種競技の日本代表に選ばれ、日本選手団の主将を務めました。
アントワープオリンピックでは、14人中12位という結果に終わりますが、世界レベルの技術を目にして大きな収穫を得て帰国しました。
帰国後はスポーツが盛んなスウェーデンなどの国を視察。
大正10年、大日本体育協会の理事に就任。
外国の選手と闘うために、若手育成、陸上、体育の普及に奔走し多くの選手を育てます。
大正13年、パリオリンピックでは選手団監督を務めました。
大正14年、東京高等師範学校の教授となり、体育教師の育成。学校体育の陸上競技の発展に尽力。
昭和8年、日本陸上連盟から、第1号功労賞を授与。
昭和24年、東京教育大学の教授に就任。
昭和25年、日本初の体育学部長に就任。
昭和27年、名誉教授に就任。
埼玉大学の体育学部長、順天堂大学の教授も務めました。
体育スポーツの指導方法を研究して、近代体育教育の基礎を築き貢献されました。
箱根駅伝も、野口源三郎が金栗四三、沢田英一の3人で話し合い、選手育成を目的として企画開催したものです。
昭和35年、紫綬勲章
昭和38年、勲三等瑞宝章
昭和42年3月16日、死去。80歳の人生でした。
さいごに
日本初のオリンピックに参加した金栗四三とともにマラソン予選に出場した野口源三郎。
マラソンは長時間の競技ということもあり、お腹が空いてレースを抜け出すという癖に悩まされながらも、陸上十種競技に挑戦し、オリンピック出場。
引退後は日本の体育スポーツ普及に大きく貢献、尽力された、偉大かつ素晴らしい人でした。
大河ドラマ「いだてん」でも主要人物として描かれます。
永山絢斗さんの演技、楽しみに拝見したいと思います。
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