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      2018/11/08

いだてん三島和歌子(白石佳代子)の実在モデルは女西郷?2度の結婚真相も!








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2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」に白石佳代子さんが出演されます。

役どころは主演、金栗四三(中村勘九郎)と一緒にオリンピックに出場した、三島弥彦(生田斗真)の母、三島和歌子

日本人初のオリンピック選手となった人物の母親はどんな人だったのでしょうか?

女西郷と呼ばれた母、女性としての人生に着目してご紹介したいと思います。

「いだてん」白石佳代子さんの役どころ

 

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三島和歌子(みしまわかこ)は薩摩出身の華族・三島家の大奥様。

三島家をモデルにした小説「不如帰」では嫁を激しく叱責する「恐母」と誤解して描かれるが、実は、情け深く、涙もろく「西郷」と呼ばれた女性。

三島和歌子の実在モデルについて

白石佳代子さん演じる三島和歌子(みしまわかこ)は実在した、同姓同名の人物です。

1845年(弘化2)6月16日、鹿児島県加護乃高麗町に薩摩藩士柴山権助の二女として生まれました。

柴山家は下級藩士のなかでも身分が低い方でしたが、父・権助は兵学者として名高くあり藩士から人望を集めていたそうです。

結婚~離婚~再婚

14歳の時、鹿児島藩士の森岡正純に嫁ぎます。

家督の兄、柴山龍五郎の命令で不本意ながらの結婚でした。

不本意の理由・・・

それは後の結婚相手となる三島通庸をしていたと言われています。

 

世の中は尊王攘夷運動。

1862年(文久2)、京都の寺小屋事件で、兄・柴山龍五郎は自宅謹慎の身となります。

三島通庸は柴山家と家族ぐるみの付き合いがあり、かつ寺小屋事件で自宅謹慎になるものの、身寄りがないため柴山家に身を寄せます。

そんな中、和歌子は嫁ぎ先の森岡家から、離縁させられ柴山家に返されました。

 

離縁の理由・・・

薩摩藩は、寺小屋事件を起こした藩士へ厳しい態度をとっていたため、森岡家は和歌子の兄のことで森岡家にも災いが及ぶのを恐れてのことだと言われています。

 

和歌子は離縁後、三島通庸と再婚することになりました!

この結婚、和歌子にとって恋をしていた相手だから良かったねと言いたいところですが、結婚の由縁ははっきりとわかっていません。

2度目の結婚

和歌子が再婚した夫、三島通庸は「鬼県令」「土木県令」と恐れられた人物でした。

栃木県令時代には、三島通庸暗殺未遂事件「加波山事件」が起き、警視総監に就任してからも常に刺客に狙われていました。

和歌子は剣術ができたので、夫がプライベートのときは仕込み杖を持って同行。ボディーガードを務め、愛する夫を献身的に支え続けたと言われています。

 

また夫には妾がいたため、和歌子は夫が夜中に妾のもとに行くことに、辛く耐え忍んでいたが、自分の子供と同様に妾の子も平等に可愛がったそうです。

夫の死後

1888年(明治21)10月23日、夫が死去すると、和歌子は三島家の采配を振るいます。

長男、彌太郎を大山巌の娘、信子と結婚させますが、信子が結核に感染すると実家に引き取られ、協議離婚。その後、陸軍中将、四条隆謌侯爵の三女加根子と再婚させました。

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1898年(明治31)、長男彌太郎の最初の妻、信子をモデルにした小説「不如帰」が発表されると、和歌子をモデルとした「お慶夫人」は、結核になった嫁を追い出した極悪非道な姑として描かれていました。

 

三島家では「不如帰」のことは禁句となり、和歌子は周囲の反対を押し切り「不如帰」の芝居を鑑賞。自分は「そんなことは言っていない」と作者の徳富蘆花に激怒

 

和歌子は世間から冷たい目を浴びせられながら生きたそうです。

 

1912年(大正1)、息子、三島弥彦日本初のオリンピック選手として、金栗四三とともにストックホルムオリンピック出場。

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1919年(大正8)、徳富蘆花は小説を盛り上げるために、姑を悪人に描いたとして和歌子に謝罪

1924年(大正13)12月3日、79歳で死去。

子どもたちから見た母

和歌子の娘、峰子は次のように語っていました。

世間ではお母様は大変きつい男のような人だと思っている人が多いけれどもそうではない。

お母様は夫のためにはもう自分の身というものはない人なんでございますから、ああいうきついことができます。
お父様が警視総監になられてから、始終3人くらいの刺客が絶えず付き歩くのでございますからね。
夜の11時なると一人で仕込杖を持って怖いような樫の木の森を一回りお巡りになる。
朝お父様はぐるっと運動して歩く方。
それをまたお母様はそっと後ろから付いてお歩きになる。
博覧会とか人の大勢出る所においでになると、人が笑っても構わない、いかなる所にいらっしゃるにもお母様は付いていらっしゃる。
博覧会に何かございましたかと伺いましても御存知ない。
ただお父様のお身体だけを見ていらっしゃる。

 

父が塩原で倒れて東京に運ばれたとき・・

お立ちは3時頃でした。ちょうど雨がどっと降ってきた。
我々はみな馬車で行きましたが、お母様一人お籠のそばをお裸足でお歩きになった。
いくら「奥さん、あなたが死にますよ」と言われても「死んでもよろしい」とおっしゃって、足袋裸足ならまだしも本当の裸足でびしょ濡れになって仕込杖をついてお歩きになった。
鉄道局でも心配してくださって臨時汽車を出してくださった。
それへお父様をそっと寝かせて東京までお帰りになった。
お母様という方は居眠り一つならさらない。じっと汽車の中でも起きていらした。
帯というものはお解きになったことはありませぬ。
60日の間、お床を敷いてお休みになったことはない。
お父様がお亡くなりになった時、懐からお出しになったのは懐刀で、もうこれは要らなくなったとおっしゃった。

 

和歌子の孫、土方梅子のはなし。

祖父通庸が鬼県令と言われた頃、祖母は刺客に備えて県庁への往復を短刀を持って見守ったと聞いておりましたが、私の小さい頃でも父の所へ政治向きのお客様がみえると、必ず小さい刀をすぐ抜けるように構えて応接間のドアの所にたたずみ、耳を澄まして中の様子をうかがっていました。

祖父、通庸は12人の子供を遺して他界しましたが、3人は妾腹でした。
ある時、祖母(和歌子)が「お祖父様は何をしてお帰りになるか分からないから真っ先にお風呂にお入れして、
それからでなければお食事も差し上げなかったよ」
と申しましたら、母が「お祖母様、若い娘の前でそんな事をおっしゃるものではございません」と嗜めました。

峰子(和歌子の娘)などは、「お祖母様はどの子供もへだてなくお育てになってお偉いわ」と申しておりましたが、
子供の私の目から見ても、一緒に住んでいた二人の叔父に対する扱いには格段の差がありました。小さい頃はなぜだかわかりませんでしたが、一人は祖母の子、もう一人は妾腹でした。

さいごに

大河ドラマ「いだてん」に出演する白石佳代子さんは、女西郷と呼ばれる三島和歌子を演じます。

女西郷と呼ばれた和歌子は実在する人物。

2度の結婚を経て、警視総監まで務めた夫の命まで見守り、夫が亡くなった後も、名家三島家を守る女性として、強く人情味を持ちながら、どこまでも夫を愛し続けた人だと感じました。

女西郷をどう演じるのか?

大女優、白石佳代子さんの演技楽しみでなりません。

 

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