2018/06/01
西郷どん奄美大島のサトウキビ黒砂糖地獄の歴史って本当?ナメたらむち打ち?
NHK大河ドラマ「西郷どん」島編は奄美大島の歴史、しまんちゅの想いと一緒に、西郷の知られざる姿が描かれるようで主演の鈴木亮平さんも緊張されています。奄美の人々はサトウキビから黒砂糖を作り、薩摩に税として納めていましたがその過酷さは黒糖地獄と言われるほど。舐めたらむち打ちという罰まであったとか。西郷隆盛が生きた時代の奄美歴史を調べてみたのでご紹介いたします。
『西郷どん』本日から島編。珍しく緊張しております。皆様にどう受け取っていただけるのか。南洲翁と愛加那さんの人生に、奄美群島の歴史に、精一杯の敬意を込めて演じさせていただいたつもりです。知られざる西郷隆盛公の物語。ご感想をいただければ嬉しいです。#西郷どん #島編 pic.twitter.com/uMuTzpnhG4
— 鈴木亮平 (@ryoheiheisuzuki) May 13, 2018
薩摩の支配下にあった奄美大島の歴史
薩摩藩は奄美群島を割譲させて直轄地とし(名目上は琉球の一部)、1613年(慶長18年)、代官所(赤木名、名瀬など、その他多数)や奉行所を設置しました。
中国や朝鮮からの難破船などに対応するため、引き続き王府の役人も派遣させており、この頃の奄美群島は、薩摩からは道之島(みちのしま)と呼ばれていました。
薩摩は住民にサトウキビ栽培を奨励したが、薩摩藩の財政悪化と共に中・後期には搾取のようになって過酷になっていったといわれます。薩摩はサトウキビを原料とした黒砂糖を幕府や商人に専売することで富を得ていたが、サトウキビ中心の栽培は不作が起こると飢饉に結びつくような有様でした。
しかし、このころに黒砂糖を使ったセエ(黒糖焼酎)が誕生しています。セエは庶民の嗜好品として評判となり密造酒が多数作られましたが、黒砂糖の収穫が減ると困る薩摩藩がこれを取り締まらなければならないほどだったそうです。
主食は主にサツマイモでしたが、飢饉の時はソテツの実(なり)を毒抜きにしたり、幹からでん粉(サゴの一種)をとってお粥などに加工して食用としていました。
本国から離れた奄美大島は薩摩藩の流刑地とされていたが、送り込まれた罪人の中には知識人もいて、博学の彼等の中には住民に受け入れられた人もあった。幕末には西郷隆盛も流人生活を送り、島の女性愛加那と結婚して子供ももうけています。薩摩藩の統治時代を
大和世(やまとんゆ)とも呼びます。
毎回の鈴木さんの誠実で魂を感じる演技が素直に胸を打ちます。素晴らしいです。また恥ずかしながら日本人として余り知らない奄美の歴史や生き方を西郷どんと共に学びたいと思っております。今後も今まで通り頑張って下さい。 https://t.co/vZh2IsYsZy
— skjmmsk (@masaskjm) May 13, 2018
奄美大島の黒糖地獄の歴史について
薩摩藩が奄美大島の人々に過酷なサトウキビ作りを強制させ、黒砂糖を年貢として納めさせていた歴史は黒糖地獄と呼ばれています。大河ドラマ「西郷どん」の視聴者からも、地獄と呼ばれる歴史があったことを知らなかった・・と大きな反響が上がっています。黒糖地獄の歴史さっそく見ていきましょう。
奄美編要らないとか言う人いるけど、薩摩藩政下で「黒糖地獄」と呼ばれる過酷なサトウキビの収奪にさらされた奄美群島の歴史を知るのは大切だと思う。
私も知らなかった。#西郷どん— emi (@emirinpunipuni) May 12, 2018
奄美大島の民が苦しむのは、薩摩藩・島津の蘭癖の殿様のせいだと比喩されています。
8代島津重豪は長崎より入手できるヨーロッパの学問、蘭学を非常に好んだそうです。
オランダ商館から入手できる知識・技術・文化・言語を学び、のめり込みすぎて蘭癖大名と呼ばれました。
重豪をはじめ実子の豊前国(現、大分)中津藩の奥平昌高(まさたか)や筑前国(現、福岡)福岡藩の黒田斉溥(なりひろ)、そして曾孫の島津斉彬なども蘭癖大名と呼ばれました。
重豪はティイィングやロムベルグ、ズーフら歴代オランダ商館長と親交を持ち、シーボルトと会見するなど、海外の情報文化に強い関心を示しました。藩で世界地図を作成したり、自らローマ字を書き、オランダ語を話すなど、鎖国的状況の日本では類を見ないほどの藩主でした。幼少時にその教えを受けた斉彬は重豪の教養を基盤として集成館事業を興しました。
これら蘭学のための資金、徳川家のへ輿入れなどにも莫大なお金が必要で、薩摩藩は借金まみれでした。
その借金は500万両!!
現在のお金にすると2500億円。少なく見積もっても500億円と言われています。
奄美大島が苦しむのは島津の蘭癖の殿様せい。
8代島津重豪→蘭学や、徳川将軍家輿入れの為に莫大な借金を作る
→調所広郷が借金返す為に奄美大島が黒糖地獄に。
11代島津斉彬→蘭学や、徳川将軍家輿入れの為に莫大な費用がかかる
→調所広郷が借金返したのに黒糖地獄終わらず。#西郷どん— 一二三 (@nunonofuku123) May 13, 2018
実際に調所広郷と島津斉興は、島津重豪が残した500万両の借金を返す為に奄美大島の黒糖栽培を強制し、手についた黒糖舐めることも許さず重税をかけた。大借金を返す為に止む終えないがやはり調所広郷の闇の部分。そして、それゆえに借金返した後も蘭学に金を使う斉彬と対立した。#西郷どん
— 一二三 (@nunonofuku123) May 13, 2018
薩摩藩は莫大な借金を返すため、米の代わりに年貢として黒糖を強制するようになります。
1747年には年貢はすべて黒糖となり、島民全員が黒糖関連の仕事に従事するようになります。
この黒糖年貢の取り立てはとても厳しく、島民が指についた黒糖を舐めただけでもムチで叩かれたそうです。
黒糖の歴史。島津がやっていたことは欧米列強の植民地支配とかわるところがないな。
#ブラタモリ— 呉清 (@kure_kiyoshi) March 4, 2017
黒糖作りサトウキビのために、奄美の平地はすべてサトウキビ畑となり・・
島民たちは自分たちの食糧を作る畑さえもらえませんでした。
そのため強い潮風が吹きつくような山に蘇鉄(ソテツ)を6万本植えて、その実を食べることで飢えをしのぎました。
蘇鉄の実には毒があるため、そのままでは食べられません・・・
トゲを抜き、実や幹を細かく砕き、発酵させ、水にさらし天日干しを繰り返して毒抜きをし、そしてやっとできたデンプンをお粥にして食べていたのでした。
この薩摩藩、島津家の圧政を奄美の人々は黒糖地獄と呼び後世まで伝えられてきました。
黒糖の歴史。島津がやっていたことは欧米列強の植民地支配とかわるところがないな。
#ブラタモリ— 呉清 (@kure_kiyoshi) March 4, 2017
先祖の辛い言い伝え・・・
誰の言葉よりも身に染みます・・・
琉球はかつて、薩摩藩による黒糖地獄に苦しめられており、私の先祖達も辛い思いをしてきましたが…
大河ドラマ『西郷どん』
ちょうど、奄美大島の黒糖地獄のシーンをやっていて、それを観た埼玉出身妻が一言『島津め!! たっくるさりんど~!』
私が教えた余計な方言だけ覚えてしまったようだ(^^;
— 武茶(ぶっさ) (@bussa0918) May 13, 2018
奄美大島のしまんちゅは、年貢の取り立て黒糖地獄を過酷に生き抜いてきた人々でした。
NHK大河ドラマ「西郷どん」島編で、その歴史をどのように演出していくのか?
今後も見逃せません!!
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